RACING TEAM AND MANAGEMENT

MANAGEMENT

レーサーと肩を組んでいるスタッフ

ERSのトータルマネジメント

山本龍司のキャリアを元にジュニアカートからプロドライバーになるまでのステップアップルートを構築してきました。 その他、コーチ・アドバイザーの育成と派遣、メカニック・チームクルーの育成と派遣、レーシングチームのマッチング、車両メンテナンス、イベント企画までモータースポーツビジネスの総合マネジメントが可能です。

ドライバー育成 メカニック・クルー育成
レースサポート エンジニア・メカニック・アドバイザー完備
フォーミュラカー レース参戦 / トレーニング走行
レーシングカート 新車中古車販売 / メンテナンス・レンタル

チーム代表紹介 Team Representative

社長写真

チーム代表 / ERS株式会社

RYUJI YAMAMOTO

  • チーム名:ERS , ERS with SACCESS
  • 社名:ERS株式会社
  • 代表:山本龍司
  • 所在地:大阪府堺市南区野々井98-3

1998-2000 堺カートランド・宝塚カートフィールド・琵琶湖スポーツランド・名阪スポーツランド等 シリーズチャンピオン

2001-2003 全日本カート選手権参戦

2004 CIKアジアパシフィック選手権 優勝

2005 フォーミュラカーレーススタート

フォーミュラドリーム参戦

2006 ニッサンモータースポーツインターナショナル(NISMO)契約 フォーミュラチャレンジジャパン(FCJ)シリーズ2位

2007-2008 フォーミュラルノーイギリスシリーズ 参戦

2009 ニッサンモータースポーツインターナショナル(NISMO)契約解除 全日本F3選手権スポット参戦

2010-2025 カートチームERS本格始動・コーチング・マネジメント等

表彰式でシャンパンファイトの様子
社長がマイクを持ってスピーチしている様子
社長とスタッフ

JOB CAREER 経歴について

  • キャリアスタート
  • 8歳の旅先で偶然出会ったレーシングカート。富山県のおわらサーキットにて初めて試乗したことがきっかけでレースを始めました。
  • ジュニア・カート時代
  • 大阪に戻り、知り合い伝いに中古カートを購入、それから毎週のように練習を重ねレースデビューを果たします。小学生の頃は、近畿地方を中心に宝塚カートフィールド・琵琶湖スポーツランド・堺カートランド・名阪スポーツランド各地でシリーズチャンピオンを獲得。中学生から全国大会、全日本選手権、アジアパシフィック選手権などのメジャーレースで優勝。カートメーカーやレーシングチームの支援を受けて活動しました。
  • きっかけ
  • アジアパシフィック選手権で優勝した後に、四輪業界の方にそろそろフォーミュラカーレースにステップアップしないのか?とお声がけを頂き、カート活動を終了し四輪レースに切り替えました。自分達だけではカートからどのようにステップアップするかわからない状況でしたので当時の助言に感謝しております。
  • フォーミュラカーレース
  • 16歳(当時最年少)でフォーミュラレース(ホンダFドリーム)デビュー。
    足早にデビューし当初は準備不足、資金不足により随分苦労しました。
    毎レース下位フィニッシュとクラッシュの影響で予算も尽き、最終戦を待たずして参戦を取り止めなければならない状況でした。何とかシーズン後半、最終レースで予選2位になったり、決勝も4位とあと一歩のところまで来て1年を終えました。

  • スカウト
  • 急成長が評価され、翌年からスタートしたFCJ(トヨタ・日産・ホンダ 3メーカー合同レース)の初年度ドライバーにNISMO(日産)のスカラシップを得て参戦する事となります。
    前年度参戦していたFドリームにレースアドバイザーとして来られていた、プロドライバーの田中哲也氏に推薦して頂きレース参戦のルートが開けました。

    全国転戦のシリーズで初めてのサーキットばかりでしたが、メーカーの支援やサポーターの皆様のお陰でチャンピオン争いが出来ました。フォーミュラレース2年目と言うことで、流れやチームとのコミュニケーション、何よりしっかり予算が確保できたことで幸先良いスタート、開幕戦から表彰台に上がることが出来ました。
    10レース中7レース表彰台、最終戦には優勝と本来の力が発揮できたシーズンだったと思います。

    年間ランキングは惜しくも2位、シリーズチャンピオンは同ポイントで関口雄飛選手となりました。彼とはライバル関係ではありましたが、今はお互いカートチームを運営する者として仲良くさせてもらっています。
  • Bigチャンス
  • 18歳、NISMOの育成ドライバーとして正式に契約を結び、高校卒業と同時にレースの本場イギリスに拠点を置くことになります。

    参戦レースはフォーミュラルノーUKシリーズ。イギリスフォーミュラルノーシリーズは過去に多くのF1ドライバーを輩出する歴史あるシリーズです。

    当時、NISMOはルノーF1チームとの連携もあり、結果次第ではF1も夢じゃない環境でした。

    突然のチャンスに心の準備や何の知識も語学力もないまま渡英。当然ながら苦労の連続でした。生活面は英語を少しづつ覚え、チームとコミュニケーションを取りポジィティブな生活でした。

    しかしレースの結果は全くの不振で、メーカーからのプレッシャーと世間からの批判を受けることとなります。後半戦に何とか希望の見えるレースが出来たことで何とか2年目のチャンスを頂くことが出来ました。
  • 勝負の年
  • 2年目はチームや生活拠点も変わり心機一転。前年の後半戦から上昇傾向にあったことで、開幕戦から上位争い
    2戦目は念願の位表彰台に。そこからシリーズ上位ランカーとして走りました。

    順調に見えてシーズンでしたが中盤戦で大クラッシュ。マシンは大破し修復したものの今までとは何かが違う。0.1で大きく順位が変わるレースで本調子とはならず後半戦は失速しランキングも大きく後退しました。
    結果的に挽回することができずにイギリスのレースキャリアを終了。

    帰国後NISMOとのミーティングの上、育成ドライバーから外れることになりました。
  • 結果の世界
  • レーサーもアスリートであり道具も使います。一年間の中で波もあります。
    一般的なアスリート同様結果が出無くなればクビとなりそのポジションは次の有望選手に引き継がれて行きます。
    そのすべての要素をしっかりコントロール出来てこそプロだと実感しました。

  • 20歳
  • NISMOの契約が無くなり、色々チャンスを探しましたがあてもなく半年がたちました。
    そこに突然連絡がきてF3に出ないか?とオファーが来ました。

    条件は最終戦にスポット参戦、テスト走行無し、半年振りのレーシングカーという状況でした。
    大した結果は残せませんでしたが、憧れのF3の舞台にたどり着いたこと、入賞できたこと、チームに貢献できたことで満足でした。

    このレース参戦をもってドライバーキャリアを終了。

  • 育成・マネジメント掲げたレーシングチーム発足
  • 過去の経験や苦労を元にドライバー育成・マネジメントを目的としたレーシングカートチームをスタート。
    ジュニアカートからフォーミュラカー、海外レース等のルートを開きドライバーを導く体制を築く。

    チャンスはいつ訪れるかわからない。
    そのチャンスを掴むも逃すも準備次第。
    これは運では無く準備によりものにできると実感しました。

    自身のキャリアを活かして、関わってきた多くのジュニアドライバーをフォーミュラ・GTレースにステップアップさせることに成功してきました。

    今後もジュニアドライバーの夢・実現に向けて注力致します。

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