山本龍司のキャリアを元にジュニアカートからプロドライバーになるまでのステップアップルートを構築してきました。 その他、コーチ・アドバイザーの育成と派遣、メカニック・チームクルーの育成と派遣、レーシングチームのマッチング、車両メンテナンス、イベント企画までモータースポーツビジネスの総合マネジメントが可能です。
チーム代表 / ERS株式会社
1998-2000 堺カートランド・宝塚カートフィールド・琵琶湖スポーツランド・名阪スポーツランド等 シリーズチャンピオン
2001-2003 全日本カート選手権参戦
2004 CIKアジアパシフィック選手権 優勝
2005 フォーミュラカーレーススタート
フォーミュラドリーム参戦
2006 ニッサンモータースポーツインターナショナル(NISMO)契約 フォーミュラチャレンジジャパン(FCJ)シリーズ2位
2007-2008 フォーミュラルノーイギリスシリーズ 参戦
2009 ニッサンモータースポーツインターナショナル(NISMO)契約解除 全日本F3選手権スポット参戦
2010-2025 カートチームERS本格始動・コーチング・マネジメント等
16歳(当時最年少)でフォーミュラレース(ホンダFドリーム)デビュー。
足早にデビューし当初は準備不足、資金不足により随分苦労しました。
毎レース下位フィニッシュとクラッシュの影響で予算も尽き、最終戦を待たずして参戦を取り止めなければならない状況でした。何とかシーズン後半、最終レースで予選2位になったり、決勝も4位とあと一歩のところまで来て1年を終えました。
急成長が評価され、翌年からスタートしたFCJ(トヨタ・日産・ホンダ 3メーカー合同レース)の初年度ドライバーにNISMO(日産)のスカラシップを得て参戦する事となります。
前年度参戦していたFドリームにレースアドバイザーとして来られていた、プロドライバーの田中哲也氏に推薦して頂きレース参戦のルートが開けました。
全国転戦のシリーズで初めてのサーキットばかりでしたが、メーカーの支援やサポーターの皆様のお陰でチャンピオン争いが出来ました。フォーミュラレース2年目と言うことで、流れやチームとのコミュニケーション、何よりしっかり予算が確保できたことで幸先良いスタート、開幕戦から表彰台に上がることが出来ました。
10レース中7レース表彰台、最終戦には優勝と本来の力が発揮できたシーズンだったと思います。
18歳、NISMOの育成ドライバーとして正式に契約を結び、高校卒業と同時にレースの本場イギリスに拠点を置くことになります。
参戦レースはフォーミュラルノーUKシリーズ。イギリスフォーミュラルノーシリーズは過去に多くのF1ドライバーを輩出する歴史あるシリーズです。
2年目はチームや生活拠点も変わり心機一転。前年の後半戦から上昇傾向にあったことで、開幕戦から上位争い
2戦目は念願の位表彰台に。そこからシリーズ上位ランカーとして走りました。
レーサーもアスリートであり道具も使います。一年間の中で波もあります。
一般的なアスリート同様結果が出無くなればクビとなりそのポジションは次の有望選手に引き継がれて行きます。
そのすべての要素をしっかりコントロール出来てこそプロだと実感しました。
NISMOの契約が無くなり、色々チャンスを探しましたがあてもなく半年がたちました。
そこに突然連絡がきてF3に出ないか?とオファーが来ました。
条件は最終戦にスポット参戦、テスト走行無し、半年振りのレーシングカーという状況でした。
大した結果は残せませんでしたが、憧れのF3の舞台にたどり着いたこと、入賞できたこと、チームに貢献できたことで満足でした。
このレース参戦をもってドライバーキャリアを終了。
過去の経験や苦労を元にドライバー育成・マネジメントを目的としたレーシングカートチームをスタート。
ジュニアカートからフォーミュラカー、海外レース等のルートを開きドライバーを導く体制を築く。
チャンスはいつ訪れるかわからない。
そのチャンスを掴むも逃すも準備次第。
これは運では無く準備によりものにできると実感しました。
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